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春されば

  

 新緑の美しい季節になりました。

 

木々の様々な緑が一層稜線を際立たせています。

 

そうして山並みに見とれているとウグイスの囀りが

 

透き通った空気の中を遠くまで届けています。

 

万葉人もウグイスの囀りに心引かれていたと思います。

 

万葉集にウグイスを詠み込んだ歌は沢山あります。

 

春雑歌(はるぞうか)の中から一首ご紹介します。

 

  万葉集 巻第十・一八二六  作者不詳

 

「春されば 妻を求むと うぐひすの

 

    木末(こぬれ)を伝ひ 鳴きつつもとな」

 

〜春になったので、妻を求めてウグイスが梢伝いに

 

          しきりに囀っている〜

 

「されば」・・そうであるから、それゆえ

 

「もとな」・・わけもなく、むやみに、しきりに

 

ウグイスはイギリスでBushWarblor(藪で囀る鳥)といわれていて

 

警戒心が強くメジロの様になかなか姿を見ることはできません。

 

囀りはオスが縄張りを示しており

 

一日に1000回鳴くこともあるようです。

 

始めの頃は妻を求めて囀りますが番になり

 

雛を育てる時メスが餌を運ぶようになると

 

メスに「縄張り内に危険なし」の合図になっているようです。

 

又、ケキョケキョケキョと鳴くのは縄張り内に

 

侵入した者や外敵への威嚇の意味です。

 

平地でウグイスが鳴き始める季節が早春であることから

 

「春告鳥」の名もあります。

 

澄んだ空に緑の山々、ウグイスの伸び伸びとした

 

囀りは日本の原風景ですね。

 

 

 

 

posted by: y-sakurada | 万葉集 | 16:10 | comments(0) | - | - | - |
聖徳太子

 今日は聖徳太子の歌と言われている歌を紹介します。

 

日本の歴史上有名な太子は推古天皇の時代に政治でも活躍しましたが

 

仏教にも深く帰依し仁慈に厚い人でもありました。

 

 

    「万葉集絵かるた」より   万葉集 巻第三・四一五

 

「家ならば 妹が手まかむ 草枕

 

          旅に臥(こ)やせる この旅人(たびと)あはれ」

 

〜家に居たのならば妻の腕を枕にしているであろうに

 

       草を枕に旅先で一人倒れ伏しているこの旅人がかわいそうだ〜

 

太子が出かけた折、龍田山で飢えて行き倒れとなった旅人を見て馬から降り

 

食べ物や衣を与えて帰りましたが

 

翌日その人は亡くなってしまったので墓を作り葬りました。

 

数日後「先日の旅人は真人(ひじり)である」と言い

 

使いの者に見に行かせると亡骸はなく衣だけが畳んで置いてありました。

 

使いの者が持ち帰るとその衣を太子が日々着て過ごしているので

 

「聖が聖を知る」とはこのことだと人々が太子の徳を称えたという逸話が

 

「日本書紀」に記されています。

 

おそらくこの話を後世の人が歌として残したのだといわれています。

 

太子の衣の下に着けているのは「ひらみ」(衣編に習)

 

(かるたの絵では緑色のひだになっている)いと言いますが

 

こういったものは韓国にはないらしく太子独自のものの様です。

posted by: y-sakurada | 万葉集 | 15:43 | comments(0) | - | - | - |
春野


 「春日野に 煙立つみゆ 娘子らし 春野のうはぎ 摘みて煮らしも」

〜春日野に煙が立ち昇っているのが見える、

      少女達が春の野に出てよめなを摘んで煮ているのだろう〜

   「万葉集かるた」より  万葉集 巻第十・一八七九   作者未詳

万葉集には庶民の歌も多く日常の生活が知れる歌もあります。

野菜の少なかった冬から春を迎え若芽を摘んで食べる事は

楽しみであり喜びでした。

「うはぎ」は嫁菜のことです。

春の大地から出てきた芽は生命力があると信じられていましたから

皆で摘んで食べたのでしょう。

詠み人は春日野当たりで煙が立って昇っているのを見て

乙女達が楽しそうに若芽を摘んで煮ているのだろうと想像しています。

早春の穏やかな様子が伺えます。
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 15:53 | comments(0) | - | - | - |
穂積皇子の歌四

 
 穂積皇子が但馬皇女の死を悼んで「降る雪は あはにな降りそ 吉隠の・・・」という歌を

詠んでどれくらいか月日が過ぎました。

やはり穂積皇子にとって但馬皇女の死は重かったようです。

ある宴席で詠んだ歌は本音でした。

  
      万葉集 巻第十六・三八一六

  「家にある 櫃(ひつ)に鍵さし 蔵(をさ)めてし

                恋の奴が つかみかかりて」

〜家にある櫃にちゃんと鍵をしめて仕舞い込んでおいてあるはずなのに

       あの恋の奴めがしつっこくまたまた喰らいついてきやがって・・・〜


「櫃」は長方形で蓋のついた大型の木箱のことです。

これは脚付きのものもあり、衣類や布団、財貨などを収めるのに用いた箱です。

「恋の奴」は自らの恋心を擬人化しさげすんでいます。

もう但馬皇女はこの世にはいない、忘れようと努めていましたが

忘れられないのです。

「つかみかかりて」・・しつっこく時々に自分に喰らいついてくる・・

思い出されるなどという軽いことではなく

喰らいついてくるという表現にすざまじさを感じますね。

宮廷の人達はこの二人の事は承知していたので

お酒が入り宴もたけなわになってくると

気が緩みつい本音の歌ができたのでした。

記述に「好みてこの歌を詠み、もちて恒の賞(めで)と為す」

好んでこの歌を吟唱しそれをお定まりの出し物となさっていたものである

とありますので宴席で時々口にしていたのだと思われます。

その後の穂積皇子ですがみんながこのような状況を心配してか

十代の大伴坂上郎女と結婚しますが程なくして

霊亀一年(七一五)穂積皇子は四十九歳で亡くなります。


この歌は皆の前で公表していたのですが、この歌以前の

但馬皇女の四首と穂積皇子の三首の歌はそれぞれの下に贈られた可能性はあります。

それぞれが誰にも見せるなどということはなく大切な箱に納めて

仕舞ってあったのだろうと想像しています。

万葉集にこの歌があるのはそれぞれの死後に周りの人達によって

悲恋の二人の歌として残されたのだろうと思います。

この二人の悲恋の歌はきちんとブログに留めておきたいと思っていました。

たった二人の八首という少ない歌でしたが恋をして

どれだけもがき苦しんだものかはわかりませんが

二人は出会い、ありふれた恋ではなく

短かったかもしれませんがお互いを強く引き合う恋をしていたという

事実に慰められます。














 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 11:48 | comments(0) | - | - | - |
穂積皇子の冬の歌三


  但馬皇女が穂積皇子への想いを抑えられなく穂積皇子の下へと向かってしまったという事件があってから

17年後の和同元年(七〇八)六月二十五日に但馬皇女は亡くなります。

34歳という若さでした。

穂積皇子は多分その年の冬に歌を詠みました。


   「万葉集絵かるた」より  万葉集 巻第二・二〇三 

「降る雪は」あはにな降りそ 吉隠(よなばり)の

         猪養(ゐかひ)の岡の 寒くあらまくに」

〜降る雪よ、そんなにたくさん降ってくれるな

            猪養の岡が寒いであろうから〜

題詞に「但馬皇女の薨(こう)ぜし後に、穂積皇子、冬の日に雪の降る御墓を遥望し

悲傷流涕(ひしょうりゅうてい)して作らす歌」と添えられています。

「悲傷流涕」この言葉は穂積皇子の気持ちを的確に表していますね。

またこの歌は万葉集が残した優れた表現の歌としても知られています。

「亡き人」や「私の涙」というありふれた言葉を使わないことで

一層悲しみが伝わってきます。

但馬皇女が眠っている山に降る雪は自分でもどうしようもない、これ以上降ってくれるな、

あの人が寒いでしょうからと遠い藤原京から読んでいます。

山は但馬皇女そのものに思っていたのでしょう。

冬の寒さが厳しい時期にこの歌を思い出します。







 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 15:10 | comments(0) | - | - | - |
但馬皇女の歌四


 但馬皇女と穂積皇子のあってはならない恋は宮廷中に広まっていました。

但馬皇女の夫高市皇子は持統天皇からの信頼も厚く当時最高権力者として

太政大臣を務めていました。

あまりに噂がひどく、ととうとう持統天皇の耳にも入り

何とかしなければと考えたのでした。

そして持統天皇は穂積皇子に勅勘(ちょっかん、天皇からのとがめ)を下しました。

志賀の崇福寺に法会の勅使として向かわせたのです。

崇福寺は天智天皇が建てた寺で現在は廃寺となって礎石だけが残っています。

穂積皇子は遣わされ一時閉居させられました。

  
   万葉集 巻第二・一一五  但馬皇女の歌です。

「後れ居て 恋つつあらずは 追い及(し)かむ 

            道の隈みに 標結(しめゆ)へ我が背」


〜後に一人残って恋焦がれてなどおらずに、いっそのこと追いすがって一緒にまいりましょう。

         道の曲り目に道しるべをつけて下さい、あなた〜



「恋つつあらずは」恋歌の常套句です。

「追い及かむ」は激しい気持ちの表現ですね。

「隈」は道の曲り角のことです。「み」はそのあたりの意味です。

持統天皇によってこうして二人は引き離されたのでした。








 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 16:22 | comments(0) | - | - | - |
但馬皇女の恋三

 
 但馬皇女は高市皇子に嫁いでいましたが想いは穂積皇子でいっぱいでした。

万葉集の記述に「但馬皇女、高市皇子の宮に在(いま)す時に、

穂積皇子を思(しの)ひて作らす歌」とあります。

   
万葉集巻第二・一一四   但馬皇女の歌です。

「秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛(こちた)くありとも」


〜秋の田の稲穂が風で一方に片寄っているその方寄りのように

        あなたに寄り添いたい。どんなに人に非難されようとも〜


一途に恋をしている但馬皇女は何を見てもただ穂積皇子を想っていました。

「言痛く」・・あってはならない恋をしている但馬皇女にとって人の噂は

言葉が痛く感じているのです。

今では使われていない言葉ですが的確な表現に思います。

「穂向きの寄れる」・・穂積皇子の字を使っていることも

気持ちの内の表れているところかもしれません。

宮廷での噂はほとんどの人が知るところとなっていました。
 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 10:14 | comments(0) | - | - | - |
穂積皇子の秋の歌二

 
 秋雑歌に収められている穂積皇子の歌があります。

写真はイメージで浅茅ではないのでご了承下さい。

穂積皇子の歌は万葉集に4首だけです。

立場や才能を想うと本来はもっと歌を詠めたのだと思いますが

但馬皇女とのあってはならない恋がそれを留まらせていたのかもしれません。

今日紹介します歌は特に誰かを想って詠んだという記述はないのですが

但馬皇女の事はいつも頭の中にあったのではないのかと思っています。

   万葉集第八・一五一四   初秋の歌です。

「秋萩は 咲くべくあらし 我がやどの 浅茅が花の 散りゆく見れば」

〜萩の花がもう咲きだす頃になったらしい。

   我が家の浅茅の花が散ってゆくのを見ると〜

花は季節の移ってゆくのを感じさせますね。








 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 11:42 | comments(0) | - | - | - |
但馬皇女の反歌二

 前回の穂積皇子の歌を贈られた但馬皇女の反歌の歌と想像できます。

秋雑歌に収められている但馬皇女の歌なのですが

詳しい記録はありませんが多分穂積皇子の歌を承けて

但馬皇女が詠んだ歌なのではないかと解釈しました。

 
 万葉集巻 第八・一五一五

「言繁き 里に住まずは 今朝鳴きし 雁にたぐひて 行かましものを」

〜噂のひどくうるさい里なんかに住んでいないで

   いっそ今朝鳴いた雁と一緒にどこかへ行ってしまえば良かったのに〜


歌を贈られて返す「反歌」には贈られた歌の言葉を入れて詠むことが多いので

内容からみても合っていますし「今朝」と「雁」を詠み込んでいるので

穂積皇子の歌を但馬皇女が読み、返した歌と思われます。

噂のひどくうるさい里・・宮廷内ではほとんどの人が知る事になっていたことが想像できます。

それにしても但馬皇女は自分の境遇をじっと黙っているだけの女性ではないようですね。

高市皇子の妻であるという境遇を変えられない事はわかっていました。

これは穂積皇子も同じでした。



  
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 17:16 | comments(0) | - | - | - |
穂積皇子の悲恋一


 昨日の続きで今回は穂積皇子の歌です。

天武天皇の第五皇子です。

但馬皇女との恋が唯一だったのでしょうか。

  万葉集巻第八・一五一三  秋雑歌の中に穂積皇子の歌があります。

「今朝の朝明 雁が音聞きつ 春日山 もみちにけらし 我が心痛し」

〜今朝の明け方、雁の鳴く声を聞いた。ああ春日山はもみじしてきたであろう。
               
                        それにつけても私の胸は痛む〜 

この歌を詠んだ時期など記載がないので想像で穂積皇子の気持ちになってみますが

やはりこれは但馬皇女との悲恋を「心痛し」といっているのだろうと思います。

万葉集に穂積皇子の歌は4首しかありません。

持統天皇からも能力を認められ太政官の長官まで務めた人なので

本当ならもっと歌を詠んでいたと思いますが

高市皇子の妻となっている但馬皇女に立場上気持ちを表すことは控えていたのでしょう。

 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 14:34 | comments(0) | - | - | - |