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山本玄峰老師


 山本玄峰老師(1866〜1961)を現代の人はどれくらい知っているのでしょうか。

私は少し聞いていたくらいでほとんど知らなかったのですが

この度改めてこの方の事を学ばせて頂きました。

鈴木貫太郎元総理と交流のあった80歳の玄峰老師が

「これからが大変な時ですから、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで

体に気を付けてやって下さい」と書簡を送ったことが

太平洋戦争の「終戦の詔書」の一節を助言し

玉音放送の昭和天皇のお言葉となった有名な方です。

静岡新聞に記事があり玄峰老師の書の展示がある事を知り最終日に千代田画廊へ行って来ました。



会場で頂いたお葉書です。

展示の書は80歳〜90歳代の作品で40点ほどありました。

和歌山県田辺市で生まれた玄峰老師はすぐに口減らしのために首をひねられ捨てられたのでした。

しかし何日かしても生きていたので拾われ

芳吉と名付けられ岡本家の養子になりました。

青年時代は失明宣告を受け四国遍路に出ました。

24歳で7回目の霊場巡拝の途中、高知県三十三番札所雪蹊寺で行き倒れになり

この時住職の山本太玄和尚と出会い仏門に入りました。

26歳の頃より雲水として全国で修行を重ね

沼津の松蔭寺や全国各地の寺を復興し

やがて500年に一度の名僧白隠禅師の再来、

昭和最大の禅僧と称され50歳で白隠禅師ゆかりの三島の龍沢寺を

復興し住職となりました。

龍沢寺は臨済宗妙心寺派で山号は通山で僧の修行の場。


玄峰老師曰く「上師は仇につく、中師は恩につく、下師は勢いにつく」

つまり中師や下師につくくらいなら修行はやめなさい、

上師・・立派な僧侶となるためには師と仇敵のようになって

その厳しい火華の中で心身を鍛え、そこを透過しなければならないと。



このお写真は89歳の時の玄峰老師です。


玄峰老師の書に96歳と書かれているものもありますが

数えの年齢だからでしょうと掛け軸の所有の方が言っていらっしゃいました。

字はのびのびと自由に書いてあるものばかりでした。


生まれてすぐに捨てられましたが生きていたのはこの世にきちんと

成すべき事がこの方にあったためだったのかもしれません。

首をひねられたことが晩年まで体調にひびいていたようでしたが

立派な僧侶になり多くの修行僧を育て各方面に大きな影響を与えました。

(一部文章を参考にさせて頂きました千代田画廊店主様 敬拝)









 
posted by: y-sakurada | 美術散歩 | 16:24 | comments(3) | - | - | - |
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| 須藤 遼也 | 2015/10/09 1:29 PM |
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| 須藤 | 2015/10/09 2:12 PM |
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| 須藤達也 | 2015/10/09 2:19 PM |