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菜摘みの娘


万葉集には作者不詳で歌を詠んだ年代も場所 も不明の歌が多いのですが、今回のように     

古事記などに詳しく記述のある歌もあります。

雄略天皇が泊瀬の三輪川へ行幸した折に、美しい娘と出会い詠んだ歌を紹介します。

万葉集 巻第一・一  万葉集の巻頭を飾る歌です。

「籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子                               

家告(の)らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ

 しきなべて 我こそ居れ  我こそば 告らめ 家をも名をも」

〜籠よ、立派な籠を持って、堀串(ふくし)よ、立派な堀串を持って、この丘で菜を 

お摘みの娘さんよ。あなたの家をおっしゃい、あなたの名前をおっしゃい。大和の国はすべて

私が支配しているのだ。隅々まで私が治めているのだが、この私から名のろう。家も名も〜


天皇が出会い声をかけたのは美しい16歳の娘、引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)でした。

引田部氏は大神(おおみわ)朝臣の支族で三輪川のほとりに住んでいました。

当時、女性に家や名を尋ねることは求婚を意味しました。しかも天皇からの求めでした。

その後の赤猪子の人生は・・・・・

天皇からのお召しを信じ・・・80歳を過ぎてしまいました。もはや老いた身で

入内しようとは思はないがお待ちしていた心をしめさずには気がすまないと、

たくさんの結い納品を伴の者に持たせ、宮中に参上しました。

天皇はたいそう驚き詫び、二首の歌を赤猪子に与えました。赤猪子はこの歌を聞き涙を流して       

袖を濡らし天皇に二首の歌を返しました。天皇は老女になった赤猪子に多くの品を与えて

帰しました。


何ともせつない話です。始めは名誉なことで引田部の一族は喜んでいたのかもしれません。 

美しい娘でしたから求婚したい男の人もいたとも考えられます。

でも天皇に声をかけられている以上他の人との結婚は許されない時代でした。

長い時間、天皇の言葉を信じて志を貫いた赤猪子・・・・やはり悲しくせつない話です。
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 15:31 | comments(1) | - | - | - |
歌と古事記、別々に知っていたので、今日初めてこれが同じ出来事であると認識しました。
あまりに切ない…
当時にしては80歳はかなりの長寿ですよね。長生きした甲斐がありましたよね…。
| akiko | 2012/05/11 6:05 PM |