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但馬皇女の悲恋一

 今日は悲恋の歌を紹介します。

恋をしたのは但馬皇女(たじまのひめみこ)です。

父は天武天皇、母は藤原鎌足の娘氷上娘(ひかみのおとめ)で早く亡くなります。

持統天皇の勧めで高市皇子と結婚させられます。

高市皇子は天武天皇の長子で但馬皇女の異母兄になります。

この当時異母兄妹の結婚は普通にありました。

高市皇子は40歳位、但馬皇女は20歳位でした。

しかし高市皇子にはもうすでに正妃や他の妻がいました。

一説には高市皇子が見初めたとありますが持統天皇の強要だったとも考えられます。

しかし但馬皇女は高市皇子の異母弟の穂積皇子に心を寄せていました。

この三角関係は宮廷内でも知られることとなり持統天皇の耳にも届きました。

高市皇子は太政大臣(天皇、皇太子を除く皇族・臣下の最高位)なので

持統天皇は穂積皇子を少し離した方が良いと思ったのか罰しようとしたのか

近江の志賀寺に派遣し、一時閉居させました。

どれくらいかして戻った穂積皇子にとうとう但馬皇女は密かに逢いに行き

朝が明けぬ前に川を渡り帰ってきたというその時の歌です。

  万葉集第ニ・一一六  川は恋の障害を象徴しています。

「人言(ひとごと)を 繁み言痛(こちた)み おのが世に 

                  いまだ渡らぬ 朝川渡る」

〜人の噂がうるさいので、生まれてこの方渡ったことのない

                 暗い朝の川を渡るのです〜

人の噂の渦中にある但馬皇女は思い切った行動に出ました。

穂積皇子を想った歌三首は多分但馬皇女が亡くなった後に見つけられて

誰かが保存したものと考えています。






 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 17:43 | comments(0) | - | - | - |
白雪


 少し暖かい日もありますが二月ですからまだまだ冬将軍がやってくるこの頃です。

今日は大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのうらつめ)のわずかに消え残っている

雪にまだ消えないでおくれという強い想いがこもった歌です。

坂上郎女は何度も登場していますが情熱的でしかも聡明な歌人で

生涯は波乱でしたが愛の歌を多く残しています。

  万葉集  巻第八・一六五四 

「松蔭の 浅茅の上の 白雪を 消たずて置かむ ことはかもなき」

〜松の木蔭の浅茅の上に積もった雪をそのまま溶けぬよう消さずに

             残しておくことはできないのだろうか〜 

いつも思うのですが歌人はやはり物の見方、視線が詠まない人とは違いますね。

松の蔭になっている丈の短い草の上に残った雪を見て

残しておくことができないものかと読んでいます。

単なる「雪」ではなく「白雪」としたところが景色が綺麗に想像できますし

雪に対しての情が伺えます。

この時期に合ういい歌です。

   
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 17:28 | comments(0) | - | - | - |
清麻呂邸の梅の花

 
 梅の花の便りは春を感じさせてくれますね。

さて、しばらくブログをお休みしていましたがまた一首づつ取り上げて

わかりやすく書いていく所存ですのでよろしければお付き合い下さい。

梅の花はまだまだ寒い時期に蕾を膨らませて生命力や力強さを感じさせてくれます。

梅の花は特に香りの良いことで大変好まれました。

今回の歌は市原王(いちはらのおうきみ)の歌です。

この方は東大寺造営の時に長官も務めました。

大伴家持(おおとものやかもち)と交流がありこの歌も

上司でもある中臣清麻呂の邸宅で宴が催され家持と市原王を含めた

五人が招かれました。

  「梅の花 香をかぐはしみ 遠(とほ)けども

                 心もしのに 君をしぞ思ふ」

〜庭の梅の花、そのかぐわしいこと。

  遠く離れて住んでおりますがあなた様をお慕いしております〜

この時代上司へもこのような歌を詠み贈りました。

宴は和やかで招かれた五人は次々と邸宅の松や梅を褒める歌を詠みます。

この時代歌を詠むことは日常あることですが

やはり才能のある方は尊敬されました。

気の合った歌仲間で清麻呂への忠誠心も感じられます。
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 18:07 | comments(0) | - | - | - |
山本玄峰老師


 山本玄峰老師(1866〜1961)を現代の人はどれくらい知っているのでしょうか。

私は少し聞いていたくらいでほとんど知らなかったのですが

この度改めてこの方の事を学ばせて頂きました。

鈴木貫太郎元総理と交流のあった80歳の玄峰老師が

「これからが大変な時ですから、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで

体に気を付けてやって下さい」と書簡を送ったことが

太平洋戦争の「終戦の詔書」の一節を助言し

玉音放送の昭和天皇のお言葉となった有名な方です。

静岡新聞に記事があり玄峰老師の書の展示がある事を知り最終日に千代田画廊へ行って来ました。



会場で頂いたお葉書です。

展示の書は80歳〜90歳代の作品で40点ほどありました。

和歌山県田辺市で生まれた玄峰老師はすぐに口減らしのために首をひねられ捨てられたのでした。

しかし何日かしても生きていたので拾われ

芳吉と名付けられ岡本家の養子になりました。

青年時代は失明宣告を受け四国遍路に出ました。

24歳で7回目の霊場巡拝の途中、高知県三十三番札所雪蹊寺で行き倒れになり

この時住職の山本太玄和尚と出会い仏門に入りました。

26歳の頃より雲水として全国で修行を重ね

沼津の松蔭寺や全国各地の寺を復興し

やがて500年に一度の名僧白隠禅師の再来、

昭和最大の禅僧と称され50歳で白隠禅師ゆかりの三島の龍沢寺を

復興し住職となりました。

龍沢寺は臨済宗妙心寺派で山号は通山で僧の修行の場。


玄峰老師曰く「上師は仇につく、中師は恩につく、下師は勢いにつく」

つまり中師や下師につくくらいなら修行はやめなさい、

上師・・立派な僧侶となるためには師と仇敵のようになって

その厳しい火華の中で心身を鍛え、そこを透過しなければならないと。



このお写真は89歳の時の玄峰老師です。


玄峰老師の書に96歳と書かれているものもありますが

数えの年齢だからでしょうと掛け軸の所有の方が言っていらっしゃいました。

字はのびのびと自由に書いてあるものばかりでした。


生まれてすぐに捨てられましたが生きていたのはこの世にきちんと

成すべき事がこの方にあったためだったのかもしれません。

首をひねられたことが晩年まで体調にひびいていたようでしたが

立派な僧侶になり多くの修行僧を育て各方面に大きな影響を与えました。

(一部文章を参考にさせて頂きました千代田画廊店主様 敬拝)









 
posted by: y-sakurada | 美術散歩 | 16:24 | comments(3) | - | - | - |
お花畑
 残暑お見舞い申しあげます。
先日駒ヶ岳に出かけました。静岡から4時間ほどかかりました。
宿に到着し近くを散策・・高原なので周りに野草が見られました。


この川は天竜川。上流でもこの水量で驚きました。
翌日の朝千畳敷カールに向かいました。
駒ヶ根駅からバスで40分程で千畳敷駅に着きます。
ロープウェイのしらび平駅は1662メートル、7.5分かけて
千畳敷駅まで950メートル上がります。
ゴンドラは60人乗りですがいっぱい乗っていました。
ほとんど垂直に上がる感じでみるみるうちに駒ヶ根の町が小さくなっていきます。
駅に着くと千畳程の景色が広がっています。
2612メートルの高地なので空気がさわやか!!!


一番高い山が宝剣岳で2931メートルの高さになります。
ここまで行くのは本格的に山登りされる方達で
私はカールをぐるっと回る軽いハイキングだけです。

千畳もある位広いということで名付けられました。
ここは2万年前の氷河期が溶けた時に土砂をえぐられてこのような
特殊な形になったそうです。
このボサボサしているのはチングルマの花が終わった後です。


岩のそばに咲いているコイワカガミ。

ショウジョウバカマのピンクもお花畑を彩る一つです。

この黄色の花はキバナノコマノツメ。
スミレ科なのでとても可憐なのにこんな名前なので
帰ってから調べますと葉の形が馬の蹄(爪)に似ている・・
他の名前を付けてあげたい・・

ミヤマシナノキンバイも一面に咲いていました。
縦にすっとのびているのがアキノキリンソウ。
白で5弁の花はウメバチソウ。
まだまだ紹介しきれない花がいっぱいありました。
時期によってまた他の花が楽しめます。

白い穂の様な花がコバイケイソウ、この白さが一層高原をさわやかにしていました。
 
posted by: y-sakurada | ハイキング | 11:49 | comments(0) | - | - | - |
ほととぎす


 毎日暑い日が続いています。夏ですね。

現代はクーラーという文明の機械があり暑さをしのぐこができますが

万葉の時代どのように暑さを乗りきっていたのでしょう。

写真は夏の草原や河原などによく見られるタケニグサです。

夏山を見ながら大伴家持が歌を詠んでいます。

   万葉集 巻第八・一四九四    

「夏山の 木末(こぬれ)の茂(しげ)に ほととぎす

            鳴き響(とよ)むなる 声の遥けさ」

〜夏山の木々の間を飛びくぐって鳴く時鳥の声の遥けさよ〜

万葉の時代、ホトトギスは立夏に鳴く鳥とされていて

鳴き声が聞かれると夏が来たのだと感じていました。

「鳴き響む」鳴き声が響いていて

「声の遥けさ」で静かな夏山の遠くから聞こえている・・

その時の景色と音が浮かんできます。








 





 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 16:50 | comments(0) | - | - | - |
金魚
 

 先日御殿場の時之栖に行って来ました。

「江戸の粋 AQUARIUM」という題でした。

入場券を買うと直径5僂らいのバッジが3種の中から一つ頂けます。



いくつかの水槽に金魚が種類別に展示されていました。



輪島塗とのコラボで大きなたらいにも金魚が・・・。頭が赤いのは「丹頂」です。



展示の背景にライトなども使っていました。頭が赤く尾の短いのが「蘭鋳」です。

「蘭鋳」は背びれがなく体も丸く頭も大きく上から見るために改良されたと聞いています。

家でも飼っています。おしりを振りながら泳いで優雅です。



上は「出目金」これもゆっくり泳ぎます。夏の暑さをしばし忘れますね。



黄色の金魚は「水包眼」で袋が一度潰れると元には戻らないと聞きました。下は色にこだわっていますね。



江戸時代に養殖が始まりましたが前期はまだまだ贅沢品で中期にやっと金魚売りや

金魚すくいなどで販売できるようになりました。



上は「琉金」で育つともっと尾びれが長くなりかわいくなります。

突然変異で出現した尾びれの長い個体を育て安永・天明年間(1772〜1788)に中国から琉球(沖縄)を経て

薩摩(鹿児島)に持ち込まれたので「琉金」と呼びます。



きれいな水の中でゆったりおよいでいる金魚たち・・・形や色、尾の長さ目の大きさなど様々な金魚を楽しんで来ました。

中には人間の勝手でこんな形にしなくてもと思う品種もありましたがほとんどが精魂込めて長年改良して

今ではたくさんの種類の金魚を見られることができます。

少し涼しさを感じて頂けましたでしょうか。とにかく赤い金魚はかわいい。








 
posted by: y-sakurada | 美術散歩 | 17:06 | comments(0) | - | - | - |
なでしこ(二)


 なでしこは秋の七草の一つですが庭では今盛んに咲いています。

万葉集にも26首詠まれていて大伴家持がその内の11首詠んでいます。

家持は多くの女性から恋の歌を贈られていました。

中でも笠郎女(かさのいらつめ)は熱烈で29首もの歌を贈っています。

今日はその歌の中から一首選びました。

   
   万葉集巻第八・一六一六  庭のなでしこを見ながら詠んでいます。

「朝ごとに 我が見るやどの なでしこの 花にも君は ありこせぬかも」

〜毎朝私が見る庭のなでしこ・・あなたがこの花であって下さったらほんとうにうれしい〜


郎女は家持がなでしこを大変好んでいたのを知っていてこの歌を贈りました。

貴族階級の中でなでしこを庭に植えることが流行していて家持も植えていたようです。

・・恋しい人がなでしこであったら毎朝手にとって可愛がらない日はないだろうに・・

この家持の歌に合わせていますね。

でも郎女の恋は成就しませんでした。

家持が「恋しい人」と言っていたのは坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)だったのでした。

 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 15:34 | comments(0) | - | - | - |


 新緑がまぶしくまた次の季節が巡ってきました。

様々な緑の葉の中に藤の花がさわやかに咲いています。

写真の藤は白ですが一層涼しげに風に吹かれていました。

万葉集で藤は藤波と詠まれることが多く、房がたくさん垂れ下がり

動く様が波のように感じていたのだと思います。

今日紹介します歌はこの時期鳴くほととぎすも読み込まれています。

 

 万葉集巻第十・一九四四  作者未詳   夏雑歌(鳥を詠む)からです

 「藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす 今城の岡を 鳴きて越ゆなり」

 
 〜藤の花の散るのが惜しいと時鳥(ほととぎす)が

       今来たという名の今城の岡の上を鳴きながら越えている〜


今城は地名ですがはっきりとした場所は不明です。

一説には奈良県吉野郡大淀町の今木ともいわれています。

藤の花の名所の「今来」と「今城」「今来た」と言葉が掛けられています。

万葉集にはこういった言葉掛け・・言葉あそびがよくあります。

万葉集の楽しみ方の一つですね。



 
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 16:35 | comments(0) | - | - | - |
春雨


 桜が満開のこの時期に春雨は降ります。

やっと咲いたのに花びらが散ってしまいそうです。

万葉人も同じ気持ちで歌を詠んでいます。

  万葉集巻第十・一八七〇  春雑歌の「花を詠む」から  作者未詳

「春雨は いたくな降りそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも」

〜春雨よ、ひどく降らないで・・桜の花をまだ見ていないのに

        むざむざ散らしてしまうのは惜しくてたまらない〜

以前にも書きましたがこの時代「桜」は「山桜」です。

花は少し小さめで花びらは白です。花より先に茶褐色の葉が出ます。

これを遠くから見るとほんのりピンクで優しい色合いになります。

春雨は催花雨といわれ花が咲くのを助けますが早めに咲いた花は散ってしまいそうです。

ほどほどに降ってほしいものです。
posted by: y-sakurada | 万葉集 | 17:20 | comments(0) | - | - | - |